タイ株基本情報

タイ王国基本情報−概要−


東南アジア随一の穀倉地帯
〜国土〜

タイはインドシナ半島のほぼ中央に位置し、北西でミャンマー、北東でラオス、東でカンボジア、南でマレーシアと国境を接しています。昔はシャムと呼ばれていました。

国土面積は日本の約1.4倍。北部の山岳地帯を除き、高原と平野が大部分を占めています。中央部にはチャオプラヤー川が形成した豊かな平野が広がっており、東南アジア随一の穀倉地帯となっています。国土の40%が農地として利用されています。

首都はバンコクで、人口約6,200万人のうち約800万人が住んでいます。バンコクにはタイ証券取引所(SET)があり、タイとその周辺諸国(ミャンマー、ラオス、カンボジア)を含めた地域の経済の中心地となっています。また2006年9月にはアジア最大の空港「スワンナプーム空港(新バンコク国際空港)」が開港し、東南アジアの玄関口として今後大きな役割を果たすことになりそうです。


暑季、涼季、雨季に分かれる熱帯性気候〜気候〜

気候は熱帯性気候で、3月〜5月の暑季、6月〜10月の雨季、11月〜2月の涼季と、3シーズンに分かれます。年間の平均気温は28度です。4月の平均気温が35度と暑季はかなり暑く、雨季にはスコールなどにより洪水が起こることもあります。一年のうちで一番涼しい涼季の12月の平均気温は17度。年によっては吐いた息が白くなるほど寒くなる場合があります。
タイは観光地として人気が高く、特に北半球が冬となる12月〜2月にかけてはマリンスポーツやマッサージ、ショッピング、寺院巡りなどを楽しむ観光客で賑わいます。

国民の約95%が仏教徒で、男子は一生に一度は出家し修行するのが望ましいとされています。
タイには非常に多くの寺院があり、街中を歩いていると黄衣を身につけた托鉢の僧侶に出会うことがあります。

面積
51万4,000平方キロメートル
人口
6,242万人(2005年)
人口増加率 
人口増加率:1.33%(2005年) 
首都
バンコク 
人種
タイ族(約85%)、華僑(約10%)、他にモン・クメール系、マレー系、山岳少数民族など
言語
タイ語 
宗教
仏教 95%、イスラム教 4%
教育
幼児教育(3〜5歳・1〜2年)、初等教育(6〜11歳・6年)、中等教育(12〜17歳・6年)、
高等教育(18〜21歳・4年)の4段階。義務教育は初等教育のみ
気候
熱帯性気候
日本との時差
2時間(日本が正午のときタイは午前10時)
通貨
通貨 タイ・バーツ(1ドル=約25.1バーツ、1円=約0.28バーツ)〈2007年1月20日現在〉、 
補助通貨 サタン(1バーツ=100サタン)


↑上に戻る


 

タイの歴史について

タイ王国のはじまり〜スコータイ王朝

現在につながるタイ王国が設立されたのは13世紀のことです。それ以前にはアンコールを首都としたクメール(現在のカンボジア)がこの地域を支配していました。
クメール人たちの勢力が弱まってきた13世紀中ごろ、中国東南部より南下してきたタイ民族がタイ北部のスコータイでクメールの大君主を倒し、イントラチット王がタイ王国を設立しました。スコータイ王朝の始まりです。
王国の勢力は三代目のラームカムへーン王の頃に飛躍的に伸び、領土はシンガポール周辺にまで広がりました。ラームカムへーン王は、カンボジアのクメール文字に範をとってタイ文字を制定しました。また、仏教を国教に定めたのもこの頃です。


400年続いたアユタヤ王朝

ラームカムへーン王の死後、スコータイ王朝は急速に力を失っていきました。 1351年、ウートーン侯はアユタヤに首都を移し、自らをラーマティボディ1世と称します。このアユタヤ王朝は1438年、衰退していたスコータイ王朝を取り込み、400年の長い歴史を持つことになります。この時代は東方のクメールや北方のチェンマイなどとの戦いが繰り返された時代でした。一時はビルマ(現在のミャンマー)の属領になりましたが、17世紀の初頭にはナレースワン大王が失地回復を果たし中央集権制度を確立しました。また、この頃には諸外国との貿易も盛んに行われました。中国、インド、西欧との交易がとくに盛んで、中国へは生産余剰だった米を大量に輸出し、莫大な富を得ました。日本へも鹿皮、鯨皮などを輸出しています。貿易で大いに繁栄したアユタヤ王朝ですが1767年、隣国ビルマからの総攻撃を受け、一夜で滅亡することになります。


トンブリー王朝から現在のチャクリー王朝へ

ビルマからの攻撃によりアユタヤは焼き払われ、国は分割されました。多数の政治権力が分立するなか、アユタヤの将軍タクーシンが挙兵。ビルマ兵を追い、トンブリーを新たな首都に定めます。しかし1782年、クーデターが起こりバンコクに首都が移ります。これがラーマ1世を始祖とする現在のチャクリー王朝(バンコク王朝)です。 1855年ラーマ4世は英国との間に修交通商条約を結びます。続いて1868年に即位したラーマ5世はチャクリー改革と呼ばれる改革を行い、奴隷の解放や行政制度の整備、学校教育の開始などを進めました。この2人の君主によって、タイが近代国家になるための礎が作られました。第二次世界大戦時には進駐した日本軍により占領されますが、一度も他国の植民地となることなく独立を保ちます。 戦後、1967年にはASEAN(東南アジア諸国連合)の発足と同時に加盟を果たし、1989年にはAPEC(アジア太平洋経済協力会議)にも結成時から加盟。この頃から日本や欧米諸国の企業の進出も目立つようになり、タイの高度経済成長が始まりました。1997年にはアジア通貨危機により一時的に経済が停滞しましたが、現在は再び高い経済成長率を示すようになっています。

↑上に戻る



タイの政治について

王室への敬意の高い立憲君主国

タイは立憲君主制の民主主義国家で、日本における天皇と同じように象徴的な国王が存在しています。タイ国民の王室への敬意は非常に高く、飲食店やショップなどにも国王や王妃の肖像が飾られ、王や王妃の誕生日は国をあげてのお祝いになります。 実際の国政の最高責任者は首相ですが、国王は国民からの信頼厚く、政治、国軍に対しても大きな影響力を持っています。クーデターなどの政治的な問題が勃発したときには国王が直接的または間接的に介入することがあり、2006年9月のクーデター時にも現国王であるラ−マ9世(プミポン国王)が首相の進退問題に言及し、事態を収束させました。 国会は上下二院制の議会制民主主義を採択しており、500議席からなる人民代表院(下院)と200議席からなる上院から成り立っています。人民代表院の任期は4年、上院の任期は6年で、首相は人民代表院から選出されます。

タクシン政権の内需拡大政策

1997年に成立した新憲法に基づき、2001年2月、4党連立(500議席中325議席)によってタクシン政権が発足しました。 タクシン政権は、従来からの輸出主導型の体制に加え、国内需要を活性化させて経済成長の持続を促し、また貧困の撲滅に注力し、国内経済の強化を目指しました。 同時に貿易の拡大を進め、各国とのFTA(自由貿易協定)を積極的に推進しました。この景気刺激政策が功を奏し、経済は回復基調に乗りました。2003年には経済危機時の対IMF債務を返済し、経済成長率は6.9%に。以降も、安定した成長を続けています。


↑上に戻る


 

タイの経済について

東南アジアの代表的工業国

タイの2005年のGDPは約1,690億ドル(7.1兆バーツ)、一人当りのGDPは2,577米ドル。1997年に起きたアジア通貨危機を乗り越え、今また経済成長が軌道に乗り始めています。 かつては農業中心の産業構造でしたが、1985年以降、外国投資や外国企業の進出が増え、急激に工業が発展しました。2005年の輸出品のトップはコンピュータ部品で、輸出総額の10%を占めています。そのほか、自動車・部品、家電部品などの製造業が輸出の85%を占め、東南アジアにおける代表的な工業国に成長しました。 また、非常に高い食糧自給率を誇り、食品輸出額は世界のトップクラス。年間65億米ドルにも達しています。なかでも米の輸出額は世界一となっており中国、シンガポール、マレーシアなど東南アジアの近隣諸国のほかアメリカ、イランなどにも輸出しています。

アジア通貨

タイは1985年から1995年にかけての10年間、日本を始めとする外国投資や外国企業の進出を背景に年間平均9%もの経済成長率を記録し、急速な経済発展を遂げました。 その一方で、経常収支赤字が膨らみ、不動産業などを中心にバブル経済が起きました。 その後、バブル崩壊にともなって不良債権が増大し経済が悪化。そこへバーツ切り下げの圧力が高まり、97年7月タイ政府は為替を変動相場制に移行しました。その結果、バーツが大幅に下落し、経済危機が発生しました。これがアジア通貨危機の発端です。 その後、タイ政府は、IMFおよび日本を始めとする国際社会の支援を受け、不良債権の処理など、構造改革を含む経済再建に注力しました。タクシン首相の財政政策を含めた景気刺激対策、輸出額の増加などにより、低迷を続けていた経済は回復基調に転じ、2003年に経済成長率は6.9%まで回復しました。その後、安定した成長を続けています。

↑上に戻る


タイの文化について

世界的に有名な寺院に世界中の観光客が集う

タイといってまず想像するのは仏像ではないでしょうか。

タイは仏教国で、国民の約95%が仏教徒。国内には多くの仏教寺院があります。
ワットポーはバンコク最古の寺院で、中には有名な全長50メートルの黄金の涅槃仏が祀られています。涅槃仏の足の裏には仏教の世界観が螺鈿細工で描かれており、世界中の観光客が目をみはります。 また、バンコクには「暁の寺院」と呼ばれるワットアルンがあります。

三島由紀夫の小説、『暁の寺』の舞台となった寺院です。 ワットアルンのシンボルである高さ70メートルを超える大仏塔には、陶器の破片が花模様を描いて埋め込まれており、とても優美です。塔の周りには神の乗り物であるエラワン象やインドラ神などの石像も飾られています。

南部地方のアユタヤには世界遺産に登録されているアユタヤ遺跡があります。 アユタヤ遺跡は14世紀から400年間も栄えたアユタヤ王朝の都です。木の根に埋まった仏頭が残されたワットプラマハタート、3基の塔があるワットプラスリサンペット、草むらに巨大な寝釈迦仏が横たわるワットロカヤスタなど、世界遺産に恥じない数々の遺跡が残されています。


タイのお正月「ソンクラーン」

タイの文化には仏教が色濃く反映し、仏教を基にしたお祭りが行われています。そのひとつが「ソンクラーン(水掛け祭り)」です。「ソンクラーン」はサンスクリット語を起源に持つタイ語で、太陽が次の黄道帯に入ることを意味します。伝統的なタイのお正月を意味しており、4月13日に始まり15日に終わります。 ソンクラーンの前夜、つまり4月12日に人々は家の大掃除をし、ゴミをすべて燃やします。大晦日に大掃除をする日本の習慣とよく似ています。タイでは「去り行く年の悪いものが新年に残っていると、持ち主に不幸が訪れる」と信じられています。 ソンクラーン第一日目の朝。人々は新しい服を着て、お寺や僧院でお参りをします。午後には仏像を水で浄める儀式があり、家族では年長者の手に水を掛け、敬意を示します。その後の3日間は町中で人々が水を掛け合って楽しみます。 仏像を浄めることからも分かるように「水を掛ける」という行為が「相手への敬意を示す」という意味をもつため、街中では見知らぬ同士で水を掛け合う無礼講状態となり、大変な騒ぎになります。中には水鉄砲やホースを用いて水を掛ける人もいるほどです。 ソンクラーンには観光客も参加して楽しむことができるため、この時期は多くの観光客がタイを訪れます。

↑上に戻る